2017年06月07日

足が、重い。そういう日がたまにある。1年に何度か。いや、1ヵ月に何度か。正確に数えてはいないけれど、数ヵ月を振り返るとそういう日がたまにある。おそらくこれは気圧がそうさせていると思っているけれど、実際の所はよくわからない。歩くのもしんどく、自宅から事務所までの徒歩5分間もキツい。キーボードをタッチする手は重く、思考は鈍く、情報が耳から入ってきてもこぼれ落ちてしまう。脳まで届かない。いや、実際には耳とか目とか、脳への刺激は届いてるはずなんだけど。耳鳴りのようなノイズが全部はじく。

やる気が出ない、というのは残酷なもので。がんばろうと思ってもがいてるうちに時間は過ぎていく。気づけば夕方になり、気づけば夜になり、まだまだともがくほど夜は更けていく。仕事は進まず、ただもがいたというネガティブな記憶だけが残る。翌朝の気分がよいときもあれば、このノイズは何日もつづくこともある。

ときに、人はブラックドッグをかかえて生きている。イギリスの政治家、チャーチルもそうだった。ウィンストン・チャーチル。第二次世界大戦の際にはイギリスで主導権を握った偉大な政治家とされる。彼でさえ、青春時代から心のなかに黒い犬を抱えていた。当時はまだそれを病名として扱うことはなかったのではないか。絵画をして気を紛らわしていたそうだ。

何かしらの欠陥をもっている人の方が多い。人の話を聞けない、自分の主張が強すぎる、発想力が乏しい、考えすぎて困惑する、万能な人は万能に生き人生の勝ち組をつかむのか。今のご時世、若い官僚が経済のリサーチペーパーで不安だらけの発表をしてしまうのだから、きっと順風満帆に生きている人はずいぶんと減っているのだろう。

こうして主張もなく文章を書くことがリラックスになることもきっとある。価値があるのか、それはたぶんないだろう。読み手が介在しない文章を他人が呼んだところで日記を盗み見た程度の欲求が満たされるくらいか。人の日記を呼んだところでほとんど価値がない。でも、それは本人からすると価値があったりする。そのときに何を考え、どんな行動をとったのか。振り替えることができる航海図みたいなものだ。

 


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