タゴールに会いにゆく

俺は悩んでいた。

 

会社でのプレゼン発表。取引先へのプレゼンターを決めるための社内での発表。自社製品が好きでたまらず、魅力を存分に伝えたプレゼンだった。我ながら最高だ。よくできたと思う。

 

しかし、結果は採用されなかった。選ばれたのは5年前の新卒時代から競い合ってきた同期。悔しかった。あいつはいつも上司にへりくだり、接待営業をしているが、裏では悪口ばかり。あいつは八方美人だ。なんであいつが選ばれて、愚直に努力をした俺が評価されないんだ……。

 

悔しさと怒りをおさめようと俺はいつもの趣味で書店へ足を運んだ。

 

ビジネスセンスを磨くため、いつものようにビジネス書コーナーに足を運び、最新のビジネス事情についてチェックする。マインドを高く保つために自己啓発書のチェックも怠らない。

 

だが、今日はなぜか書店の隅にある哲学書コーナーにたっていた。自分でも理由はわからない。ビジネスや自己啓発に嫌気がさしたのだろう。すっと手を伸ばし、ながめた本にはこう書いてあった。

 

『ギタンジャリ』

 

へんな名前だな。まず、意味がわからない。そう思いながらぱらぱらめくる。著者はラビンドラナート・タゴール。白く長いヒゲを伸ばしたさまはまるでハリーポッターに出てくるダンブルドア校長のようだ。インドは西ベンガル州の出身で、職業は詩人。どんな人なんだろうと思いながら、本を読み進める。

 

波は騒ぎ立ち、岸辺の木陰の径では
枯葉が ひらひら
舞い落ちてゆく。

 

今宵 わたしは眠れない。
友よ、いくたびもわたしは
扉を開けては 闇をうかがう。

 

普段から目にしているビジネス書には書かれていない自然の描写に心が少し癒やされる。抽象的で意味がわからない部分も多いが、こんな一節が目にとまった。

 

不正は敗北には堪えられないが、正義はそれができる。

 

まるで自分がタゴールからなぐさめられているような気分になった。意味するところは悪者は自分が負けるということを許容できないが、正しい行いをすることは敗北もときには受け入れることができるといったところだろう。

 

プレゼンの発表で負けたこと、それは実力不足であることも認めなくてはいけない。とても悔しいけれど「選ばれてやる」と勝負をかけ、当日まで準備をしたことは無駄になるわけではない。勝つために挑んだ努力はこれからの成長につながるはずだ。

 

人生は長い。すべてに勝ち続けることができる人生はないだろう。細かい視点で見ていけば勝ち負けはたくさんあるものだ。いちいち負けたことにとらわれていては人生が楽しくなくなってしまう。タゴールはそんな勝ち負けでくよくよしない姿勢を教えてくれた。

 

では、勝ち負けにこだわらず自分のできる範囲でやりたいことだけやればいいのだろうか。そうではない。正しいと信じて、挑戦しきった経験があるからこそ勝ったことや負けたことに固執しない人生を歩むことができるのだ。

 

自分が正しいと信じてやりきった結果が望んだ形に仕上がらないこともある。それが人生というものだ。それでも、信じた経験は無駄にならない。自分の気持ちを全力でぶつけた経験があるからこそ、結果に固執せず、次へつなげることができる。

 

インドの詩人は結果にとらわれていた俺を自由にしてくれた。いつもは長居する書店でそそくさと会計を済ませ『ギタンジャリ』をもって家路につく。またいつか俺の視野が狭くなったとき、白いヒゲを伸ばした詩人に力を借りることにしよう。

 

 

……と、たまにこんな創作話を書いてみたりもしたくなる。フィクション。

 

 

参考文献

タゴール,ラビンドラナート(1981)『タゴール著作集 第一巻』(森本達雄ほか訳),第三文明社.

 


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