鎖を引きちぎる

ぼくはプラトンが言うところの「哲学者」になりたいと思っている。これは2011年に仕事としてネットに文字を置きはじめたころから変わらずに大切にしている考え方だ。この話をすると「なるほどね」と共感してもらえたり、ビジネスっぽさがない故に軽くあしらわれたりする。

インターネットの世界ってとても堅苦しいし、自由がないと思うところがある。おもしろいもの、刺激的なもの、快楽主義に走っていて、独自の考え方をする人たちはかすむ。たとえば、人を喜ばせるピアノの演奏よりもエセピアニストのスキャンダルが注目されるように。本や新聞のカウンターカルチャーとして成立しているこの世界を否定するつもりはないし、本当に大切なことはネットではなくリアルの世界にあるという考え方は共感するし、賛成。けれど、ネットの世界もそろそろ新しい段階へ進む人たちが増えてもいいのではと思っている。

冒頭のプラトンの話。プラトンとは、アリストテレスの師匠。ソクラテスの弟子とされている古代ギリシアの哲学者。哲学の大前提はギリシア時代に帰結するってよく言われるし、業界の中ではだいぶ偉い人。代表著作には師の対話を記録した『ソクラテスの弁明』がある。真実や原型を意味する「イデア」という概念を提唱した人。彼について、ぼくもそんなに詳しくない。『ソクラテスの弁明』『国家』あたりは部分的に読んだけれど、学者レベルに理解をするには半世紀くらいかかるのではと震えてしまう。それくらい網羅的に哲学について考察した人。

そんな彼の遺産に「洞窟の比喩」というものがある。その考えは以下のようなもの。

人は洞窟の中に鎖をつけて閉じ込められている。背後にいる人たちが用意した、たき火とそこで演じられる影絵を見せられて、現実だと思い込んでいる。だけど、人はそれに気づかない。真実だと思い込み、洞窟の中で人生を終えていく。自分がいる場所を洞窟だと気づかせ、地上へ連れ出し、太陽という真実の下に連れ出す人が必要だ。そして、人々を先導する役目を担うのが哲学者だ。

こんな感じの主張だったと思う。この比喩は哲学研究の中でも割と盛り上がってるみたいなので、解釈は複数パターンあるはず。新プラトン主義とかイデア論者にはいろいろな学派があるみたいだけど、ぼくの場合はそこまで深く掘り下げて考察はしていない。概念の研究って空気をつかむような作業に感じてしまって、下手をすると人生のすべてをかけても「なにもわからないことがわかった」みたいな状態になってしまいそうだからあまり好きではない。象牙の塔でティータイム楽しんで満足する風潮、あれが嫌いだ。苦しんでる人たちを毀損してるような気がするから。ぼくらは悩み、苦しみながら生きている。すべてのものごとは表裏一体なはずだから、悩みそれ自体が消滅する必要ないと思うけれど、哲学は現実の世界とつながってはじめて有用性を発揮するはずだし、価値があるはずだ。現実を無視した象牙の塔に意味はない。

プラトンが提唱した洞窟の比喩はぼくらの生き方にすごく影響があると思っている。本当に幸せなことってなんなのか、自分が生きたい人生ってなんなのかと考えているうちはいいかもしれないけど、いつからか誰とも知らぬ人がつくった影絵を見て満足するような生き方になってることがある。これはネット時代の前後を問わず、昔も、今も、これからもずっとつづくと思うけど。

自ら問いを立てて解決していこうとすることで、人生を拘束する鎖を引きちぎることができる。そう信じている。「自分の頭で考えよう」ってそれっぽい言葉が流行した時期もあるし、否定するつもりはないけれど、もっと真実を探求することが認めて生きる人がいてもいい気がする。利己主義的な人が増えたら、それはそれで困るけれど、考えごとする時間なんてぼくらはもう1000年以上前にどこかへ置いてきてしまったのかもしれない。発展することに忙しくて、仕方がないことだったけれど。

自分で模索する世界の見方っておもしろいものだと思うし、生産性にもつながる。人生が充実するとか、ふわっとしたこともあるかもしれないけど、経済的に優位に立つこともできる。実際、哲学者って高給取りだったという話もある。給料という表現が適切ではないかもしれないが。

陰謀論とか、スピリチュアルとか、偏ったものではなくて、自分の内側にある気持ちとか視点とか、内面にあるものを尊重しつつ、外の世界を見る文化をつくるためにぼくは貢献していきたい。鎖を引きちぎるような文章が書きたい。こんな抽象概念みたいな文章の意味がわからないと思っている人がここまで読んでくれたら、それだけでもうれしい。

 


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